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写メ日記
年を取るのも悪くない
年を取るのも悪くない
2024/4/11(木) 0:00 up
今日もたわいない独り言です。
最近はですね、毎日がのほほんと幸せなんです。
2017年くらいからかな、
沁み沁み幸せを感じる様になってきました。
何と言うか、夜寝る時なんかは、
『あ〜今日も無事に何もなく良かった。』
『明日、朝、目が覚めなくとも、もう死んでも悔いがない。有難い人生でした。』
『私の人生はいい人生だったなぁー』
と思いながら眠りに付くわけです。
でも、普通にまた目が覚めてまた一日が始まる訳ですが、
それはそれで今日も生かせてもらえるなら平和な一日を過ごせますようにと思います。
最近は、何かに成ろうとしなくていい。
頑張らないし、欲もないし、譲る。
それでも心が穏やかなんです。
私を取り巻く世の中は、ざわついて居てます。嘘や競争や損得や無関心、不安定な事ばかりだと思います。
でも私の心中は、そんなに左右される事がありません。
そんな境地に至ったのは、やはり年を取ったからだと思います。
年を重ねれば重ねるほど、焦りもなく
幸福感が増してきました。
本当の幸せがお金では得られない、人と比べても意味がない事がわかったから。
ほどほどにゆったりまったりが心地よい。
私が勝って負ける人がいるなら、私は負で良い。
私が金持ちで、その陰で貧しい人がいるならお金を持たなくて良い。
コロナウイルスのワクチン接種についても、
コロナのワクチンが危ないから打たないぞ!
そういう気持ち良く分かるんですね。
私も正直ワクチンは打たない方が良いと思ってましたし、いまもそう思っています。
ただ、商売をしているといろいろな人と接する事になります。皆がワクチンを打つ事で少しでも安心感が得られるならそれは意味がある事だと思いました。
『和多志』
これは、造語らしいのですが、
わは、多とともに志したい。
ワクチンを打たなかった人が、
それ言った事かと鼻高なのも如何なものか。何か唯物論的でしかない。
身体だって私からしたら物質でしかない。
『永遠の零』で主人公の生に対する哲学も最もなのですが、特攻で亡くなかった英霊の魂は『和多志』だったんだと思います。
歴史は何にも変わってないですね。
手を変え品を変えです。
私が私で良かったなって、万物に感謝できるのがまた嬉しく、私のまわりにもその気持ちをあげたくなります。
お釈迦様の最期は、ある村で施された食事が腐ってる食べ物を食べ、
酷い嘔吐と下痢で亡くなったそうですね。
弟子は、食べ物の異変に気が付き、村人を問い詰めようとしたようです。
お釈迦様は、弟子をなだめたそうです。
貧しい村人がもてなした食べ物を腐っていた物と知りなら、有難いと食べたそうです。
魂が幸せになればいつも毎日が安心なんです。
予言なんかもうどうでも、地震も備えはしているけど、何があっても大丈夫なんです。
ルドルフ・シュタイナーの本に、
『いずれ人類は、隣人が不幸なら自分も幸福は感じられない。隣人の不幸が自分の事の様に感じるようになる。』
と書かいています。
隣人が幸せなら私も幸せなのです。
今日は平和なのです。
『和多志』になれたら誰でも幸せなんです。